観音埼灯台の建設と燈明堂の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 14:43 UTC 版)
「燈明堂 (横須賀市)」の記事における「観音埼灯台の建設と燈明堂の廃止」の解説
安政東海地震に伴う津波による倒壊の直前である嘉永6年(1853年)のペリー艦隊の来航時には、浦賀の燈明堂はペリー艦隊の航行の目安ともなった。そしてペリー来航によって鎖国体制が終焉し、欧米各国などの船が盛んに往来するようになる中、沿岸部の燈明台などの明かりしかない日本の沿岸航行は大きな危険を伴うと認識されるようになった。 明治2年(1869年)、フランス人技術者レオンス・ヴェルニー設計の、光源にレンズを用いた最初の洋式灯台である観音埼灯台が点灯した。観音埼灯台の完成により浦賀の燈明堂はその役割を終え、明治5年(1872年)に廃止されることになった。燈明堂廃止後も明治27年(1894年)ないし明治28年(1895年)頃まで燈明堂の建物は残っていたが、その後崩壊して石垣のみが残されるようになった。
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