規制危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:11 UTC 版)
同行は預金量で全国第7位であったが、まもなく預金の支払い義務を果たすことができなくなるであろうと思われた。規制当局は、この問題をいかに解決するか難しい決断を迫られた。3つの選択肢がありえたが、真剣に検討されたのはうち2つだけであった。コンチネンタル銀行よりはるかに小さな銀行でさえ、清算を行えば必然的な混乱の発生が予見されるために、清算による破綻処理は不適切であるとみなされた。通常の流れでは買い手を探すことになる(そして実際、1984年、買い手の模索が進行中であるという報道は、コンチネンタルの預金者の懸念につながった)。しかし、1980年代初頭の厳しい金融環境下では、買い手は見つからなかった。 規模や預金者のパニックの伝染、銀行の資金難といった一般的な懸念に加え、規制当局は国内の支払い・決済システムが著しく混乱してしまうことを恐れていた。特に懸念されたのは、コンチネンタル・イリノイ銀行に投資された資本のうちの高い割合を占めるコルレス銀行の幅広いネットワークであった。実質的に、同行は「大きすぎて潰せない」と見なされ、「支援を提供する」オプションが仕方なく採用された。そこでジレンマとなったのは、いかにして国内銀行システムのバランスを大きく崩さずに支援を提供するかということだった。
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