見沼新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 13:38 UTC 版)
見沼代用水の開削と平行して見沼溜井は干拓された。埋め立てられた土地の総面積は1,228町歩(約1,218ヘクタール)におよび、その内の1,172町歩(約1,160ヘクタール)が新田として打ち出された。見沼溜井周辺の17の村は工事請負と引き換えに新田の村による開拓を願い出て許可された。一度、沼に戻された入江新田も再び開拓された。 また、見沼跡の一部については江戸市中の商人3名に新田開発の許可が下されたが、この権利は後にすべて山口屋藤左衛門に売り渡された。山口屋藤左衛門は、見沼溜井で獲れる鯉を幕府に納めたこともあり、鯉屋藤左衛門ともいわれた。彼の干拓した新田はその屋号より山口新田、下山口新田との名前でよばれるようになった。
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