西郷家に寄寓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 15:05 UTC 版)
西郷の本土帰還の後、慶応元年(1865年)頃に赦免されて鹿児島城下に戻って、当初は親戚の家を転々としていた。その後、前記の約束あってか上之園の西郷邸に飄然と現れてそのまま食客になった。西郷は国事に奔走して家を空けることが多く男手が乏しい西郷家にあって、来客の応対や能書を生かした信書連絡などもっぱら外回りの役目を果たす家令あるいは留守居役を果たすとともに、西郷の子弟の書や漢学の師ともなった。また、西南戦争中に成人男子が出征して西郷家は完全に女所帯となり、武村の屋敷が焼亡した後は鹿児島各地を転々としたが、雪篷は常に一家と苦患をともにし、その精神的支柱となった。西郷の長子・菊次郎が戦場で片足を失う重傷を負ったときは義足の手配に心をくだいたという。
※この「西郷家に寄寓」の解説は、「川口雪篷」の解説の一部です。
「西郷家に寄寓」を含む「川口雪篷」の記事については、「川口雪篷」の概要を参照ください。
- 西郷家に寄寓のページへのリンク