西城慶子とは? わかりやすく解説

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西城慶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 01:22 UTC 版)

西城慶子
生誕 (1938-01-03) 1938年1月3日(87歳)
出身地 日本茨城県下妻市
ジャンル 歌謡曲
ジャズ
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1958年 -
事務所 K.Sオフィス
公式サイト 西城慶子オフィシャルホームページ
日本コロムビア|西城慶子

西城 慶子(さいじょう けいこ、1938年1月3日 - )は、日本歌手茨城県下妻市生まれ筑西市育ち。東京声専音楽学校を卒業し、歌手となる。ジャンルはジャズ歌謡曲。8トラックやEP、LPレコードを多数発売している。

経歴・生い立ち

1938年(昭和13年)1月3日茨城県下妻市に生まれる。下館第二高等学校時代は徒手選手で「大学にはいって体操の選手になるつもり」だったが、家族の希望で文化服装学院に入学。たまたま当時流行のロカビリーを聴いて、舞台に立ちたくなり、東京声専音楽学院に移った[1]

1958年(昭和32年) 20歳の時、在学中より歌手活動スタートする。

1961年(昭和36年) 赤坂にあったクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」専属歌手となる。初ステージより6日目にナット・キング・コール夫妻が来店した。そこでナットに素質を認められ本格的にデビューに至る。

1962年(昭和37年)より3年間、TBSラジオ「ランプシェイド・ミュージック」にレギュラー出演。

1964年(昭和39年)中村八大の推薦によりNHK「夢であいましょう」に出演。

以後、国内はもとより海外でのステージも多数こなす。

1965年6月24日 ミュージシャンの岡崎広志と結婚[2]

1968年 カーステレオの女王に選ばれ~1977年までに大手レコード会社よりLPを10数枚発売

この期間に、歌手を一度引退するも、岡崎と離婚後には再び歌手として復帰する。

1985年 総理官邸パーティーにジャズ界を代表して招待される

その後もディナーショーやチャリティーコンサートに出演するなどして、現在も歌手活動を継続中

ディスコグラフィー

アルバム[3]
  • 『キス・ミー・ケイコ』
  • 『バラード』
  • 『慶子の気も知らないで』

CMソング

[4]

ほか多数

脚注

  1. ^ 報知新聞/昭和39年4月18日(土曜日)6版
  2. ^ 週刊文春/昭和52年9月22日緊急特別号
  3. ^ 西城慶子 アーティスト情報(日本コロムビア)
  4. ^ 西城慶子 オフィシャルホームページ

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