補給線は遮断されていない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:01 UTC 版)
従来、日本軍の補給不足を李舜臣の補給路遮断によるものと解釈されることが多かったが、補給不全が生じていたのは内陸部に進出した部隊に対してであって、全戦役を通じて九州から釜山までの海路における物資や人の流通が決定的な補給不全を起していたことはなく、したがって日本軍の補給路が李舜臣率いる朝鮮水軍によって「遮断された」と解釈するのは誤りとする見解が近年優勢となっている。日本軍の食糧不足の主な原因として、緒戦の朝鮮軍が想像以上に弱体であったため、一挙にほぼ全土を占領したため補給線が伸び切ったこと、和戦の曖昧な侵攻による食料の準備不足、日本側が食糧の現地調達を想定していたが、当時の朝鮮半島はかなりの食糧不足であったことなどが挙げられている。そして、これらは1593年からの日本本土からの補給作戦の開始と主力軍の朝鮮南部撤退によって解消されており、準備を整えた慶長の役の侵攻作戦では補給の破綻は起きていない。
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