行政官となるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 07:23 UTC 版)
「ジョセフ・ダドリー」の記事における「行政官となるまで」の解説
ジョセフ・ダドリーは、1647年9月23日、マサチューセッツ植民地ロクスベリーに生まれた。母はキャサリン・デイトン・ハックバーン・ダドリー、父は、マサチューセッツ植民地の創設者で、行政官の一人であったトマス・ダドリーである。ジョセフが生まれた時、父トーマスは既に70歳と老いており、彼は母親と、父が1653年に死去した後に母親が再婚したジョン・アリン牧師に育てられた。 ダドリーは、1665年にハーバード・カレッジを卒業し、1672年に自由市民(フリーマン)として認められた。1673年にマサチューセッツ植民地議会のロクスベリー代表となり、1676年には、植民地顧問会議員に選出された。1675年にフィリップ王戦争が起こり、ダドリーは、インディアン相手の植民地部隊に弁務官として同行した。グレートスワンプファイト(英語版)に参戦し、ナラガンセット族に決定的勝利を得た。何年かをニューイングランド連合の弁務官として過ごし、当局を代表して隣接するインディアン集落に外交の任務で派遣された。また、マサチューセッツと、隣のプリマス植民地の境界線について交渉する委員会の委員でもあった。
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