螟蛉(めいれい)塾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 23:46 UTC 版)
「常照寺 (香取市)」の記事における「螟蛉(めいれい)塾」の解説
本寺で幕末から1887年(明治20年頃)まで、朱子学の栗本義喬(大橋訥庵の門人並木栗水の弟子、のちの第一高等学校 (旧制)の漢学教授、宇都宮中学校校長)が漢学塾「螟蛉(めいれい)塾」を開いていた。塾では四書五経、左伝、史記、小学、十八史略、論語、孟子、孝経などの素読や講義がなされていた。ここで学んだ者には、菊池晋二(惺堂)(大橋訥庵孫、のちの東海銀行(東京)取締役)、益田祐之(のちの福岡県中学修猷館漢文教諭)、内野五郎三(集書家)、新村出(7才から10才までの間学ぶ、広辞苑編纂者)らがいる。新村出は「諏訪の岡のふもとの鄙の寺子屋にただ漢籍の物学びせし」など佐原時代を回顧する歌を複数詠んでいる。
※この「螟蛉(めいれい)塾」の解説は、「常照寺 (香取市)」の解説の一部です。
「螟蛉(めいれい)塾」を含む「常照寺 (香取市)」の記事については、「常照寺 (香取市)」の概要を参照ください。
- 螟蛉塾のページへのリンク