蜘蛛の囲の終日捕ふ怒涛音
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季 節 | 夏 |
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評 言 | 蜘蛛は私にとって愛らしい生き物ではないが、その蜘蛛が作る繊細な網はとても美しいと思う。 この句に出会った時、私はあの繊細で美しい蜘蛛の糸だけがクローズアップされ、海が見えていなくても、海が実際に無くてもいいように思った。それでも、はっきりと荒れ狂った海の怒涛音が私の中に響き渡ったのだった。 おそらく作者はこの蜘蛛の囲を海辺で見たのであろう。実際に怒涛音も聞こえていたのだろう。その感動が俳句という詩形に収められたとき、読者にはただの風景の模写だけではない〈何か〉が感じられてきた。 ここには蜘蛛の囲と怒涛音という自然の具象的な形しか提示されていないが、その奥には虚心にものごとを見つめる作者の強靭なまなざしがある。そのまなざしから紡ぎ出される言葉は、物の本質を捉えていて具体的ではあるが、どこかに人間精神という抽象的なものが描かれているのである。繊細で美しい蜘蛛の囲だが、蜘蛛にとっては生きる糧そのものである。その網が、獲物ではなく海の怒涛音を捕らえているのだ。そう思うと蜘蛛の行為に生きるかなしみのようなものが感じられたのだろう。 〈何か〉とは、句には書かれてはいないが、人間をも含む〈生き物としてのかなしみ〉を感受することだと思う。 私の記憶の中の海が、この美しすぎる蜘蛛の囲のかなしみによって呼び覚まされ、海から遠く離れた私の居住空間にも怒涛音となって響いて来たのだった。 作者は、誰もが潜在的に有している〈何か〉と出会える機会を然りげ無く提供してくれたのかもしれない。 |
評 者 | |
備 考 |
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