蜘蛛の囲にかかり蛍火はや食はる
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
蛍火の舞う中、その一つが運悪く蜘蛛の巣にかかり、さっきまで光を放っていたものが、はやくも蜘蛛の餌食になってしまった、という、無常の自然のいとなみのありのままを動的に一句に読み込んだもの。「蜘蛛(蜘蛛の囲)」も「蛍火」も夏の季語であるが、視覚的には食う方より食われる方である「蛍火」に、作者の感動の中心の焦点化がなされていると感じられよう。幾つかの本を見た範囲で、誓子は食うものとしての蜘蛛をテーマとしては句を詠んでいない。もし幾つか詠んだものがあったとしても、少なくとも、蜂や蟷螂のように積極的に読もうとしたことはないのではないか。誓子は、広義の「虫」の句を多く詠んでいる作家だけれども、どうも蜘蛛は主題として句に詠み込むことに気が進まなかった人であるように思われる。掲句も、基本的にはその存在の悲しみが様々な詩的主題となりうる「蛍」の、その生を全うせずに食われる悲しみについて、淡々とした描写による冷徹な視点から描かれており、生というものの持つ厳しさを鮮やかに引き立たせてはいるけれども、食っている側の蜘蛛のありようは主題ではない。ただ生き物の本質として、生とはそのようなものであるという、やや理性の中に偏った弱肉強食の食う側という立場しか与えられていないように思われるのだ。安易には言えないが、誓子の人生が、食われるより食う側にあった気がすることと無縁ではない気がするのだが。 |
評 者 |
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備 考 |
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