蜂起とロンドンデリー戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 15:35 UTC 版)
「ウィリアマイト戦争」の記事における「蜂起とロンドンデリー戦線」の解説
革命によってジェームズはロンドンから追放されフランスに逃れたが、アイルランドは革命を支持せずジェームズ支持の旗色を鮮明にした。ジェームズの腹心のティアコネル伯リチャード・タルボットはアイルランド全土で兵を募りジャコバイト軍を結成、フランスに逃れていたジェームズもルイ14世の支持を取りつけて6000のフランスからの援軍を引き連れて加わり、ジャコバイト軍はプロテスタントの拠点の1つである北部アルスターの都市ロンドンデリーを攻撃すべく包囲戦を展開した(ロンドンデリー包囲戦)。しかしジャコバイト軍は訓練・装備ともおそろしく不十分ないわゆる農兵で、勝っているのは数だけであった。包囲戦も甲斐なく海上からジョン・リークらウィリアマイト軍救援隊による包囲網突破を許し、全土の平定は頓挫してしまった。 ウィリアマイト軍は現地でプロテスタント民間人を徴用して軍備を強化し、エニスキレンを本拠にジェームズ軍を攻撃した。ニュータウンバトラーの戦い(1689年7月31日)はエニスキレン近郊で起こった戦闘であったが、勝利したウィリアマイト軍は余勢を駆ってアルスターからジャコバイト軍を一掃した。
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