蛭子能収を再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 22:12 UTC 版)
同年8月頃、山崎春美が行方不明になっていた蛭子能収の所在について青林堂の渡辺和博に問い合わせたところ連絡先が判明し、原稿を依頼するため池袋の喫茶店「白十字」で打ち合わせを行う。高杉によれば蛭子は当初「女の裸を描けないからエロは描けない」「こんな自販機で売ってるエロ本で本当に原稿料が出るんですか」といぶかしんでいたという。そこで高杉と山崎は 一応表紙はエロな感じに見えるんですけど、中身は自分たちが好きに作ってるんですよ。自分たちはこれを“ゲリラ”だと思ってるんです。僕たちは学生のころから蛭子さんのファンで、自分たちが雑誌を作るようになったらぜひ蛭子さんに描いてほしいと思ってた。この本はエロの体裁を取ってますけど、中身は全然違うんです。中身は自分たちが好きなように作っていい本なんで、蛭子さんもエロは描かなくていいんです。エロの部分は写真でやってますから、漫画は特に意識しないで昔『ガロ』に描いてたようなのでもいいし、好きに描いて下さい。とにかく文字ページ並みにギャラは出しますから。 と説得し、これに応じた蛭子は『Jam』4号(1979年6月号)に「不確実性の家族」を寄稿。これが再デビュー作となった。
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