蘭癖の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:16 UTC 版)
徳川吉宗の享保の改革により洋書輸入が一部解禁されたことから、江戸中期以降に最先端の技術知識として蘭学研究が盛んになった。同時に学問的な興味だけではなく、生活様式や風俗・身なりに至るまで、オランダ流(洋式)のものを憧憬し、模倣する者が現れるようになり、蘭語名を名乗る者まで現れた。 但し、江戸時代中期から後期にかけての史料においては「蘭癖」という語の使用例はいまだ多くない。幕末期に水戸藩等の攘夷派から「西洋かぶれ」の意でいわゆる蔑称として用いられる例が多くなり、明治時代以降に普及した語といえる。すなわち「鎖国」等と同様に、明治以降になって普及した後に、それ以前の「蘭癖」的人物もこの語で形容されるようになったものであろうと推測される。前述した通り、江戸末期においては学問の対象となる国はオランダとは限らないが、それも含めて「蘭癖」と呼ばれた。
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