藩政期から明治時代へ - 安芸郡段原村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 18:57 UTC 版)
「段原」の記事における「藩政期から明治時代へ - 安芸郡段原村」の解説
元和年間時点の広島は現在よりもデルタの面積がはるかに狭く海岸線が北に迫る地形であったため、「段原村」(当時は安芸国安芸郡に属した)と呼ばれていた当時の境域は、比治山北側を中心として現在の段原地区よりやや北にずれる位置にあり現在の的場町なども含み込み、その先には遠浅の広島湾が広がっていた。こののち藩政期を通じて沖合の干拓が進められ、段原村に隣接して比治村(ひじむら)・山崎新開(やまざきしんがい)・亀島新開(かめしましんがい)が開かれた。1882年、上記の近隣3村を合併したことで段原村(廃藩置県後は広島県広島区に属す)の村域は南に拡大、現在の段原地区全域よりも大きく広がった(現在「段原」を町名に冠する各町のほか、比治山町・松川町・金屋町・的場町・稲荷町・京橋町・比治山公園・比治山本町の一部もしくは全域を包括した)。的場町にある広島市立段原小学校の名称は今よりも地区の境域が広かった時代の名残りである。
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