藤原祥三亡きあとの藤原牧場
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「ウイニングチケット」の記事における「藤原祥三亡きあとの藤原牧場」の解説
1957年、北海道静内町の藤原牧場で生産されたスターロッチは、1926年に輸入されたクレイグダーロッチ牝系に分類される牝馬である。スターロッチは、競走馬として、1960年の優駿牝馬(オークス)、有馬記念を優勝。さらに繁殖牝馬としても産駒が活躍し、藤原牧場や静内の牧場中で子孫が大繁栄を遂げていた。特に藤原牧場では、1977年皐月賞優勝馬ハードバージや1981年の優駿賞スプリンター賞のサクラシンゲキなどが誕生する。この時、藤原牧場の当主を務めていたのは、藤原祥三だった。 藤原牧場は、屈指の牝系となったスターロッチを持つ牧場として頭角を現していたが、祥三には男子がいなかった。跡継ぎがおらず、廃業の危機にあった。そんな状況をもったいないと考えた同静内町武岡牧場の武岡敏夫が、祥三の娘に静内の臨床獣医である平野悟郎との縁談を紹介。1986年7月に結ばれ、平野が婿に入り、平野は藤原に改姓。こうして牧場は、跡取りを確保していた。結ばれた悟郎と娘は、よそ者だった故に一旦距離を置こうと九州に身を置き、しばらくしてから牧場業務に取り組もうと考えていた。しかし結婚から半年後の1987年3月15日に、祥三が脳梗塞のために急死する。祥三の生産したサクラスターオーが皐月賞を制する最中、祥三からのノウハウ伝授がなされぬままに、28歳の悟郎が当主に就任することとなった。悟郎は就任直後、人生で初めて繁殖牝馬の交配相手を選んでいる。
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