藤原秀郷流の尾藤氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 15:11 UTC 版)
中世の系図集である『尊卑分脉』をみると、藤原北家秀郷流佐藤氏の支流に尾藤氏がみえる。すなわち、佐藤公清の子公澄が尾藤を称し、鎌倉幕府が開かれると御家人に列し、『吾妻鑑』には尾藤左近将監(景綱)をはじめとした尾藤氏の名が散見する。元々の本貫地は、紀伊国北部の田仲・池田庄だったようで、歌人として有名な西行の出身氏族である同庄を拠点としていた佐藤氏と同族であった。 戦国時代にあらわれる尾藤左衛門尉知宣が、藤原秀郷流の尾藤氏とどのようにつながるのかは判然としないが、流れを汲んだ家であったとみられる。
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