薄れる存在意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:08 UTC 版)
19世紀前半、近代化が進んだ地域ではザドルガの崩壊が始まった。それでも社会的、経済的に発展の遅れた地域ではザドルガ形態の生活スタイルが残されていたが、第一次世界大戦後、ユーゴスラビアが独立したことにより、ビレチャ・ルディナにおいても近代化が進むこととなった。さらに新たな政治秩序、経済条件が現れる事により個人所有、個人の自由を求める空気が生まれたがこれがザドルガへの逆風となった。 近代以降、多くの人々が職を求めて町へ出て行き収入が増える事によりザドルガよりも良い生活を手に入れるとザドルガへ戻ることが苦痛となっていた。そして学校が設立されたことによりザドルガの男性らは町の学校へ通う事となったが、村の生徒と町の生徒らが交流することによりザドルガが旧式の生活であると見下される風潮ができ、さらには村の人々が旅行する機会ができたことにより村の人々の視野が広がることもザドルガの崩壊を助長させることとなった。 こうしてザドルガは存在意義を失ったが、ビレチャ・ルディネではザドルガが残る事もあったが、これは必要性というよりはそれまでの伝統や財産分与の問題を避けるため、それまで村で得ていた威信を核家族に分裂する事により失うという理由などで続いているものであった。
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