蓮淳の権勢拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:02 UTC 版)
さて蓮如には生前に5人の妻を娶り、13人の男子があったが、最後の妻蓮能の子供達は先の「大坂一乱」で排斥され、4番目の妻の子蓮芸は摂津富田に教行寺を建てた後に実如に先立って死去、3番目の妻には男子がいなかったという中で、自然と最初の妻である如了とその実妹で実如を生んだ2番目の妻蓮祐の遺した7人の男子の存在は宗門の間で崇敬の対象となっていった。 ところが、後継者とされた順如(父に先立ち死去)・実如はともかく、他の5人の男子のうち4人が北陸に派遣されて共同で加賀とその周辺の事実上の国主としての地位を得たのにも関わらず、6男の蓮淳だけは順如が遺した顕証寺の住持に補されて畿内に留められ、教団内において大きな仕事を与えられてこなかったことに不満を抱いていた。 だが、ここで新法主の保護者・後見人の地位が与えられたことで一躍北陸の兄弟を上回る権力を持つ事となった蓮淳は外孫である法主・証如の権力拡大に乗り出すことになった。これは裏を返せば後見人である蓮淳自身の権力拡大が目的であったが、形式上は「法主を頂点とした権力機構の確立」という実如以来の方針に忠実に従ったものであったから、この大義名分を前に異論を挿める者は存在しなかった。
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