著書「憲兵三十一年」より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 09:48 UTC 版)
「上砂勝七」の記事における「著書「憲兵三十一年」より」の解説
1923年9月16日の甘粕事件の際、「小泉司令官が甘粕大尉に命じたもの」と書かれている。(上砂は同じ構内にある憲兵司令部勤務)「自分も社会主義者の福田狂二の殺害を命じられた。福田が家族ともども大阪に避難する準備をしていたので、見のがすことにした」とも書いている。 また中国戦線に同行の際、「徴発は、現地官民共に四散しているため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った。」と書いている。(日本軍の「徴発」は、対価として金や軍票を支払い、物資を得ることになっていたが、「泥棒」「強奪」としか呼びようのない「徴発」が日常的に行われており、現地での信頼を失っていた。)
※この「著書「憲兵三十一年」より」の解説は、「上砂勝七」の解説の一部です。
「著書「憲兵三十一年」より」を含む「上砂勝七」の記事については、「上砂勝七」の概要を参照ください。
- 著書「憲兵三十一年」よりのページへのリンク