萬屋錦之介への改名、さらなる活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:29 UTC 版)
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1971年10月、歌舞伎座の三代目中村時蔵十三回忌追善興行で「小川家」で一門をなすことを宣言し、屋号を萬屋に、定紋を桐蝶に改めた。翌1972年に自身の芸名も中村錦之助から「萬屋 錦之介」と改めた。この際、名を占い(姓名判断)により「錦之助」を「錦之介」と変えている。 1978年公開の映画『柳生一族の陰謀』で主演したが、錦之介が12年ぶりに東映に復帰した作品となった。錦之介演じる柳生但馬守宗矩の「夢でござる」という台詞は話題になり、作品も大ヒットとなった。 1979年、テレビ朝日開局20周年記念番組『赤穂浪士』で主演を務めた。錦之介は沢島忠に「45歳になったら必ず大石内蔵助をやります。その時は監督をして欲しい」と依頼していたという。この作品で錦之介は、舞台・映画・テレビの全てで内蔵助を演じたことになった。
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