荒木氏綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 04:22 UTC 版)
荒木 氏綱(あらき うじつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。波多野氏の家臣[2]。丹波国多紀郡荒木城主[3][4][注釈 2]。
注釈
- ^ 三春町歴史民俗資料館 (2005, p. 20) には氏綱の名は記載されていないが、氏綱の子とされる[1]高兼の兄として山城守高則の名が記されている。
- ^ 園部城(船井郡、現在の京都府南丹市)が荒木氏綱の居城とされることがあるが、明智光秀に味方した小畠氏の本拠・宍人の北東3.6kmに位置する園部城でなく、多紀郡(兵庫県丹波篠山市)に所在する荒木城が正しいと指摘される[2]。
- ^ 氏綱以前の荒木氏には、波多野秀忠の重臣で山城守を名乗った荒木清長などがいる[5]。
- ^ 山崎の戦いで戦死[10]。
- ^ 「慶長17年1月11日志水宗加宛松井康之書簡」(松井康之が死の直前に井上市正(松井紀伊)の武功について書き留めた書状)にも、「彼さるかく(市正と共に武功を挙げた波々伯部家臣)ハ瀬田にて荒木一所二討死」と荒木某が瀬田で戦死した記述がある。引用元は『松井家先祖由来附』(『八代市史 近世史料編Ⅷ』八代市教育委員会、1999年、280-281頁)。
出典
- ^ a b c “春陽の士6 荒木氏|Web資料館|三春町歴史民俗資料館”. 三春町ホームページ. 三春町 (2012年2月26日). 2021年10月24日閲覧。
- ^ a b 高橋 2019, p. 78.
- ^ 城郭談話会 編「荒木城」 『図解近畿の城郭Ⅲ』戎光祥出版、2016年、422-425頁。ISBN 978-4-86403-193-6。
- ^ a b 高橋 2019, pp. 78, 96.
- ^ 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって―天文・永禄年間を中心に―」『鷹陵史学』第37号、135-139頁、2011年 。
- ^ (天正5年)11月17日付明智光秀書状(「熊本三宅文書」、藤田達生・福島克彦編『明智光秀 史料で読む戦国史』〈八木書店、2015年、79頁〉所収)。
- ^ 高橋 2019, pp. 76, 78.
- ^ 『信長公記』。年未詳4月17日付丹羽長秀書状。
- ^ a b c d 谷口克広 『織田信長家臣人名辞典』(第2)吉川弘文館、2010年、31頁。ISBN 978-4-642-01457-1。
- ^ a b c 阿部猛; 西村圭子 編 『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、58、60頁。ISBN 4-404-01752-9。
- ^ 白峰 2020, p. 54.
- ^ 白峰 2020, p. 58.
- ^ 『武家事紀』巻第二十 続集(『武家事紀 中巻』山鹿素行先生全集刊行会、1916年、53頁)。
- ^ 三春町 1984, pp. 102, 135–136.
- ^ 三春町 編 『三春町史 第8巻 近世資料1(資料編2)』三春町、1978年、133–134頁。
- ^ 三春町歴史民俗資料館 2005, p. 20.
- ^ 三春町 1984, pp. 104–107.
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