荒木城とは? わかりやすく解説

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荒木城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/07 02:14 UTC 版)

荒木城
兵庫県
別名 細工所城
城郭構造 山城
築城年 不明
主な城主 荒木氏綱
廃城年 天正6年(1578年)?
遺構 曲輪堀切竪堀虎口[1]
位置 北緯35度5分34.2秒 東経135度19分20.3秒 / 北緯35.092833度 東経135.322306度 / 35.092833; 135.322306座標: 北緯35度5分34.2秒 東経135度19分20.3秒 / 北緯35.092833度 東経135.322306度 / 35.092833; 135.322306
地図
荒木城
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荒木城(あらきじょう)は、現在の兵庫県丹波篠山市細工所(旧・丹波国多紀郡)にあった日本の城山城[1]細工所城とも呼ばれる[2]

概要

籾井城の北西2.7kmの山岳にあり、標高404m、比高170mの山頂に位置した[1]。城の南麓を東西南北に街道が通っており、交通の要衝となる[1]。荒木城南西の麓には細工所砦があり、荒木城の防御を担った[3]

『丹波志』によると城主は荒木氏綱といい[1]天正6年(1578年)4月、明智光秀滝川一益丹羽長秀とともに攻めた「荒木山城守城[4]」がこの荒木城と考えられる[5][6][7]。荒木城の東600mの位置にある鉄砲丸と北西2.2kmに位置する清滝山城は、荒木城を攻めるための陣城としてこの時築かれたとみられる[8]。『信長公記』によると、4月10日、明智方により水の手が止められたことで落城した[5]

脚注

  1. ^ a b c d e 高橋 2019, p. 96.
  2. ^ 高橋成計 著「城郭データ」、八上城研究会 編 『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年、288頁。ISBN 4-87088-996-X 
  3. ^ 高橋 2019, p. 98.
  4. ^ 年未詳4月17日付丹羽長秀書状(『兵庫県史』史料編、中世II〈兵庫県、1987年〉所収)。
  5. ^ a b 高橋 2019, p. 78.
  6. ^ 福島克彦 『明智光秀』中央公論新社中公新書〉、2020年、90頁。ISBN 978-4-12-102622-4 
  7. ^ 金子拓 『信長家臣明智光秀』平凡社平凡社新書〉、2019年、167頁。ISBN 978-4-582-85923-2 
  8. ^ 高橋 2019, pp. 78–79, 99, 100–101.

参考文献




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