范成大とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 作家 > 詩人 > 中国の詩人 > 范成大の意味・解説 

はん‐せいだい【范成大】

読み方:はんせいだい

[1126〜1193]中国南宋詩人呉郡江蘇省)の人。字(あざな)は致能。号、石湖居士晩年の「四時田園雑興」60首は、江戸時代によく読まれた。南宋四大家一人紀行文「呉船録」など。


范成大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/23 06:18 UTC 版)

范 成大(はん せいだい、靖康元年6月4日1126年6月26日)- 紹熙4年9月5日1193年10月1日))は、中国南宋の政治家・詩人。字は至能、石湖居士と号した。尤袤楊万里陸游とともに南宋四大家の一人。

略歴

蘇州呉県の出身。紹興24年(1154年)に進士に及第し、戸曹監和済局の官を振り出しに、著作佐郎をへて吏部郎官となったが、一時退官する。処州知州に返り咲いた時、税法の弊害を除くために義役の法を改めたことで認められ、礼部員外郎に崇政殿学士を兼ねた。中央にあっては、刑法・塩法・馬政を改良し、饑民を救済する。成都府知府へ赴任した際は西南の吐蕃を防ぐため、城柵を増築、兵数千を増加し、敵を離間するなど、軍政上も功績を残した。国信使としてに出たときは、金の朝廷の威嚇に屈せず宋朝の威信を保ち、臣節を全うして帰国する。中書舎人となり、広西経略安撫使・静江府知府として出て、中央にもどって敷文閣待制となるが、すぐに四川制置使とされる。中央にもどり権吏部尚書となり、参知政事となったが、まもなく2度目の隠退をする。そして明州知州を命じられ、端明殿学士をへて、一時は建康府に駐留し、資政殿学士となったが病気を理由に故郷に退き、そこで没する。崇国公に追封され、文穆とされた。

范成大は人物鑑識に明察があり、有能な者を抜擢してことごとく幕下におき、小さな欠点にこだわらず長所を大いに用いたので、配下からは二府の大臣に至った者が輩出したという。

著作と詩

范成大の著書は多く、『石湖集』は136巻に及んだ。その中から『石湖詩集』34巻、紀行文に『攬轡録』(らんぴろく)・『驂鸞録』(さんらんろく)・『呉船録』・『桂海虞衡志』・『呉郡志』50巻などの地誌、『范村菊譜』・『范村梅譜』などが伝わっている。

詩人としては、『四庫提要』で蘇軾黄庭堅の遺法を嗣いだことが指摘され、『石湖集』序文では楊万里により『清新嫵麗』と評される。

日本語訳



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「范成大」の関連用語

范成大のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



范成大のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの范成大 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS