范文敵敵
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范文敵 | |
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第2王朝 | |
第6代国王 | |
国号 | チャンパ王国 |
王朝 | 第2王朝 |
在位期間 | 415年以降 - 420年 |
生年 | 不詳 |
没年 | 420年 |
范文敵(はんぶんてき、ベトナム語: Phạm Văn Địch, 生年不詳 - 420年)は、チャンパ王国(林邑国)第2王朝の第6代国王(在位:415年以降 - 420年)。
生涯
先代のマノラタヴァルマンはそのおじのガンガーラージャから位を譲られて[1]即位したが、マノラタヴァルマンがガンガーラージャの譲位に反対した大臣の蔵麟(『南史』による。『梁書』では蔵膋とする)を殺すと、蔵麟の子がマノラタヴァルマンを殺して范敵鎧(ガンガーラージャの弟)の異父弟であった范文敵を国王に迎えた。417年7月22日、晋に遣使して馴象と白鸚鵡を献じている。『梁書』『南史』では范文敵は扶南王子の范当根純に殺されたとする。
出典
参考資料
- George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681.
- 『晋書』巻十 帝紀第十 安帝
- 『梁書』巻五十四 列伝第四十八 林邑国
- 『南史』巻七十八 列伝第六十八 林邑国
- 『太平御覧』巻七百八十六 四夷部七 南蛮二 林邑国
- 『太平寰宇記』巻一百七十六 四夷五 南蛮一
- 『通志』巻一百九十八 四夷伝第五 南蛮下 林邑
- 『文献通考』巻三百三十一 四裔考八 林邑
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