芸術的革新者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 16:55 UTC 版)
「エレオノーラ・ドゥーゼ」の記事における「芸術的革新者」の解説
ドゥーゼの伝記作家F. Winwarは、ドゥーゼはほとんど化粧をしなかったが「道徳的な装いをまとっていた。言い換えれば、自分の性格に潜む内的な衝動や悲しみや喜びが、自分の体を表現のための媒体として用いるがままにさせておき、それはしばしば彼女自身の健康を損なうほどであった」。 感情を伝達するために既成の表現法を用いていたそれまでの俳優に対して、ドゥーゼは先駆者として新しい表現を生み出した。彼女が「自己の滅却」と呼んでいた技法で、自分の描き出そうとする登場人物の内面に心を通じ合わせ、表現を自ずから湧き起こらせるというものである。 その経歴を通じて、ドゥーゼは若い俳優や女優を援助したことで広く知られ、尊敬をかちえるようになった。ドゥーゼから影響を受けたと自認する様々なすぐれた芸術家の中には、モダン・ダンスの先駆者マーサ・グレアムやイマジズムの詩人エイミー・ローウェルなどがいる。1923年7月30日、ドゥーゼは女性としては初めて『タイム』誌の表紙を飾った。 彼女は1909年に一度引退しているが、1921年にはアメリカとヨーロッパで契約を結んで舞台に復帰している。 ドゥーゼはアメリカツアー中に、ペンシルベニア州ピッツバーグ、ホテル・シェンリーのスイートルーム524号室で65歳にして死去した。ホテル・シェンリーは現在ピッツバーグ大学のウィリアム・ピット・ユニオン(学生会館)になっている。
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