腸炎発症
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 13:48 UTC 版)
当初は、2歳夏頃の入厩と、秋のデビューが考えられていた。しかし、入厩間近の8月に原因不明の熱発と、ウイルス感染に伴う肺炎と腸炎を発症。特に腸炎は「重度」「重い」ものであった。熱に浮かされて、正しく歩くこともできず、「肛門は開きっぱなしで、ペニスもダラーンと出てたまま」(武田)、それに点滴で栄養を補給していた。19日間にわたる入院と治療により、一命を取り留めることには一応成功。ただし、治療を乗り越えたトーホウジャッカルの身体は衰弱していた。谷は500キログラムある「馬っぷり」を高く買っていたが、治療後は50キログラム以上痩せて450キログラム。竹島によれば「骨と皮」の状態。谷はその姿から「競走馬になれないかもと思った」と考えられた。その後、9月に運動を再開。時間をかけて失った馬体を取り戻し、3歳となった1月31日に276日過ごした武田ステーブルを卒業。276日は「最長クラスの利用日数」(田中哲実)だったという。3月末、栗東トレーニングセンターの谷潔厩舎に入厩する。デビューが遅れたことから、2歳11月の第1回クラシック登録、3歳1月の第2回クラシック登録はしていなかった。
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