聖なる墓域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 09:07 UTC 版)
「ミシシネワ (AO-59)」の記事における「聖なる墓域」の解説
2001年4月6日、「ミシシネワ」の船体はアメリカの潜水チームの手により再発見された。ウルシーを管轄するミクロネシア連邦は、「ミシシネワ」の再発見を受けて発見地点の周辺を「聖なる墓域」に指定して、一般人の立ち入りを禁じる措置をとった。一方で、「ミシシネワ」から流出する燃料が環境に悪影響を与えているとの懸念を示し、2003年に入って残留燃料の抜き取りをアメリカ海軍の主導で実施した。なお、一連の調査で「ミシシネワ」の右舷側に大破孔があるのが発見され、「魚雷が左舷側に命中した」というベック艦長の判断が思い違いであることが判明した。 燃える「ミシシネワ」から生還した乗組員の一人であるジョン・メイヤーは第二次世界大戦後、戦友とともに「ミシシネワ」の戦友会を立ち上げ、会の幹事となった。また、回天のことを調べているうちに親日家となった。ジョンの息子であるマイケル・メイヤーも会社経営の傍らで回天、特に菊水隊関連資料を大量に入手し、日本側研究者や全国回天会会長小灘利春らと連絡を取り合って回天のウルシー攻撃に関する戦史を編集し出版した。「ミシシネワ」の船体調査は、元はと言えばミシシネワ戦友会が運動を行った結果が実を結んだものであった。
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