耳赤の一局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 03:10 UTC 版)
弘化3年7月21日(1846年9月11日)於浪華天王寺屋辻忠二郎宅 八十九手打掛、同23日(13日) 於原才一郎宅 百四十一手打掛、同25日(15日)於中川順節碁会中之島紙屋亭 打終。先 桑原秀策 井上(幻庵)因碩 325手 黒半コウ勝ツグ 黒三目勝(棋譜の手順が正しいなら実際は黒二目勝)。 右下の大斜定石で秀策が誤り、井上幻庵因碩の繰り出した秘手もあって秀策は劣勢に陥った。幻庵は自在に打ち回したが、126手目のトビ(白△)が緩手。これに対して秀策の打った黒127手目(図の黒▲)が「耳赤(みみあか)の一手」として現代に語り伝えられる妙手であった。この手を打つ直前までは井上の優位だったが、この手によって形勢は急接近したとされる。上辺の模様を拡大し、右辺の白の厚みを消し、下辺の弱石に間接的に助けを送り、左辺の打ち込みを狙う一石四鳥の手である。 対局を横で見ていたある医師はこの様子を見て、「これは秀策の勝ちだ」と断定した。周りの者が何故かと尋ねところ、「碁の内容はよく判らないが、先ほどの一手が打たれた時に井上先生の耳が赤くなった。動揺し、自信を失った証拠であり、これでは勝ち目はないだろう」と述べた。耳赤の一手という名は、このエピソードに由来する。 ただし、この手については緩手という評や、「今の一流棋士ならだれでもそこに打つ」(呉清源)という声もあり、評価は一定していない。また、耳赤の一手もさることながら、全局を通した井上幻庵因碩の打ち回しに対しても評価が高い。 なお、囲碁AIの絶芸によるとこの手(評価値55.2)は緩手であり、左上の5の三のブツカリ(評価値63.1)を最善手に示している。
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