繃帯を巻かれ巨大な兵となる
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
|
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
この句は昭和13年、白泉25歳の時の句である。前年の昭和12年に盧溝橋事件が起こり日中戦争が始まっている。そして、昭和13年は、南京を占領し、国家総動員法が公布され、泥沼の戦争へ突き進んでいるときである。 白泉が海軍に招集されるのは昭和19年31歳の時であるから、この句を作ったのはもちろん戦場ではなく、戦望句の一つと言える。「繃帶の中の手足を伸ばしてゐる」、「繃帶が寢台の上に起きあがる」などの五句の中の一句である。 中でもやはりこの句が圧倒的なイメージを持って迫ってくる。私は、ジブリのアニメで「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」に登場する巨人兵を思うのである。戦闘マシンとして作られた巨人兵と、寢台の上で全身に繃帯を巻かれる兵隊とが見事にシンクロするのだ。 最近人気の、「進撃の巨人」もこの「巨大な兵」を思わせる。コミックからテレビアニメさらには映画になった、この「進撃の巨人」も、戦争と同じく不条理で無慈悲に人間を殺戮するのだ。 戦後70年も経って、昭和13年ごろのことを知っている人も少なくなっただろうが、たぶん、その当時の社会全体が戦勝に浮かれ、沸き立っていたのではないだろうか。俳人たちも戦意高揚するような句をみんなして作ったはずである。ただ、白泉の場合は、のちに昭和15年に治安維持法違反の嫌疑で京都府警に連行されるように、たんに戦争賛美をするわけではなかった。「戦死」を詠んだ連作では「赤く蒼く黄色く黒く戦死せり」というような句もあり、戦争というものを悲惨さも含めて俳句として表現しているのである。 銃後といふ不思議な町を丘で見た 白泉 |
評 者 |
|
備 考 |
- 繃帯を巻かれ巨大な兵となるのページへのリンク