経営権委譲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:44 UTC 版)
クロックと兄弟との契約は、兄弟が生産工程について責任を負い、会社の株式による利益を受け取る。そのかわりにクロックが販売拡張の全責任を負うことになっていた。だが1961年までにクロックは拡張に失敗する。兄弟は、兄の引退も理由となって、1961年に270万ドルでマクドナルドの全権利をクロックに売り渡すことで合意した。クロックにとっては高額だが、長い眼で見ればメリットがあると判断、プリンストン大学などを含む多くの投資者からかき集めて兄弟の持つ株式を270万ドルで買い取った。 この契約では兄弟は「マクドナルド」の名称の使用は認められなかったために、やむなく自分たちの店を "The Big M"(ザ・ビッグM)という名称に変えて営業を続けた。しかし、クロックが兄弟の店のすぐ北にマクドナルドの大型店舗を出店し "The Big M"は倒産してしまい、兄弟の店は閉店して現存しない。 1984年1月にクロックは死去し、その1年間マクドナルドは創業者追悼キャンペーンと銘打ったセールを行ったが、これを知ったマクドナルド兄弟の弟リチャードは激怒したとされる。 経営権委譲に伴う合意事項には、譲渡後もチェーンの売り上げの1%を将来的に支払うという「紳士協定」があったが、契約書には組み込まれていなかったために、それが守られることはなかった。もし守られていたら、兄弟は年に3億6000万ドルを手にすることになっていたはずだった。
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