紛失部分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 13:53 UTC 版)
ブランゲによる大戦関係者への聴取・資料収集に協力した千早正隆によれば、本書の序編にあたる部分を千早が英訳した際は1941年(昭和16年)10月22日に宇垣が第一航空艦隊の人事につき山本五十六に「南雲長官と草鹿参謀長を更迭し長官後任に小沢治三郎を用いるよう進言し山本から同意を得たという記述があったとしている。しかし刊行された『戦藻録』に該当部分はなく千早は何者かによって抹消された可能性を指摘している。また第六巻も戦後に連合艦隊先任参謀であった黒島亀人が東京裁判の証人として利用するとして借受も紛失する。冨士信夫によれば、黒島が証人として東京裁判に出廷したことはないという。 第六巻の範囲は1943年1月1日から4月2日。ガダルカナル島撤収作戦、東部ニューギニアのラエ増援作戦、4月に予定された航空大攻勢の準備について記載があったであろうと考えられている。千早正隆は宇垣が大きな作戦後は所見と反省の記載を常としたためガダルカナル島作戦における反省もあったと見ている。
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