紀元前5世紀 - 紀元前4世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 14:42 UTC 版)
「ヘラクレア・ミノア」の記事における「紀元前5世紀 - 紀元前4世紀」の解説
ディオドロスによると、新しく建設されたヘラクレアは急速に発展したが、カルタゴがその勢力の増長を恐れたために破壊されたとしている。これがいつ発生したかは不明である。おそらく『歴史叢書』の第10巻に記載されていたと思われるが、その部分は現在失われてしまっている。ヘラクラが破壊された可能性がある 第一次シケリア戦争(紀元前480年)に関する記載ではこのことが触れられていない。ロードス島リンドスにあるアテーナー・リンディアの神殿の碑文には、アクラガスのミノアに対する勝利(但し日付はない)の戦利品として象牙のパラディウムが奉納されたと記載されている。 紀元前5世紀の間、およびディオニュシオスのカルタゴとの戦争に関連してのヘラクレアの記載はなく、この間ヘラクレアは存在していなかったか、あるいは極めて衰退した状況にあったと推定される。しかしながら、紀元前405年の講和条約で、ヘラクレア・ミノアの領域はカルタゴ領とされた。次の記述(ミノアの名前が用いられている)はシュラクサイの政治家ディオンが紀元前357年にここに上陸したと言うことであり、アクラガス領土の小さな街であるが、カルタゴの支配下にあるとされている。したがって、ハリカス川以西をカルタゴの領土とするディオニュシオスとカルタゴの条約にも関わらず、その東岸にあるヘラクレアは依然としてカルタゴの手にあった。これに伴い、紀元前314年にカルタゴとアガトクレスの間で結ばれた講和条約においても、ヘラクレア、セリヌスおよびヒメラは以前と同じようにカルタゴの支配下に置かれるとされている。
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