女娃
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女娃(じょあ、じょあい)は、中国神話に登場する女性。
- ^ 北次三経発鳩之山条。
- ^ 巫山の瑤姫(『襄陽耆旧伝』)や赤松子を追って昇仙した炎帝少女(『列仙伝』)も炎帝の末女と伝えられており、炎帝には少なくも3人(柱)の末女がいた事が判明している。
- ^ 前掲発鳩之山条の郭璞注に発鳩山は上党郡長子県(現中華人民共和国山西省長子県)の西に位置するといい、袁珂に拠れば発苞(はつほう)山とも鹿谷(ろくこく)山とも廉(れん)山とも称される山に比定されるという(『山海經校注』山經柬釋巻3發鳩之山条、上海古籍出版社、1980年)。で、多分この辺。
- ^ 原文「其鳴自詨(其の鳴くこと、自ら詨(よ)ぶ)」とあるが、これは鳴き声を鳥名とした事を表す(高馬三良訳『山海経』(中国古典文学大系第8巻、平凡社、昭和44年所収)南次二経柜山条の訳注。前野直彬訳『山海経』(全釈漢文大系第33巻、集英社、昭和50年所収)南次三経禱過之山条語注等)。但し、日本語版である事を顧慮して便宜的に音訳した。現代の普通話では「チンウェイ(jīng-wèi)」となる。
- ^ 『山海経』明万暦25年刊本の挿図。
- ^ 現行本上巻。
- ^ 「鳥誓」に作る版もある。
- ^ 「禽」は鳥で「冤」には「うらみ」の義がある。
- ^ 松田稔『『山海經』の基礎的研究』第3章第10節「轉生の神話」、笠間書院、平成7年。
- ^ 因みに、春秋時代に山東地方一帯に覇を唱えた斉の姜氏は炎帝に出るという。
- ^ 森雅子『神女列伝』第1部第1章「神女列伝」、第8章「中国の女神」、慶應義塾大学出版会、2013年。
- ^ 松岡正子「形天 - 『山海經』における「尸」と「舞」について」『中國詩文論叢』2、中國詩文硏究會、1983年。神妻として捧げられた女人の例としては『史記』滑稽列伝に付加された西門豹の逸話が挙げられる。
- ^ 前野前掲訳書北次三経発鳩之山条補注。森前掲「神女列伝」。
- ^ 訓読は『鑑賞中国の古典13巻 陶淵明』角川書店、昭和63年、の釜谷武志「本文鑑賞」に拠ったが、些か改めた。
- ^ この句、宋曾紘は句意が通らないので誤字であろうと「刑天舞干戚(刑天、干戚を舞わす)」に校訂し、爾来それで通行するが、一方で宋周必大のように精衛の一事を詠んだものであろうから校訂の必要無しとする批判もある(都留春雄『中国詩文選11 陶淵明』筑摩書房、昭和49年)。
ここでは敢えて校訂前の句形を採用した。 - ^ 「固」字は「故」に作る版もある。
- ^ 鈴木棠三編『新編故事ことわざ辞典』創拓社、1992年。尾上兼英監修『成語林』旺文社、1992年。
- ^ 明丘濬『故事成語考』地輿。
- ^ 釜石前掲鑑賞。
- ^ 袁珂(鈴木博訳)『中国の神話伝説』上、黄炎篇第1章、青土社、1993年。
精衛填海
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「読山海経」其十精衛銜微木将以填滄海 精衛、微木を銜(ふく)み将(まさ)に以(もつ)て滄海を填めんとす 形夭無干歳猛志固常在 形(からだ)は夭(わかじに)し干歳を舞わし猛志固(もと)より常に在り 同物既無慮化去不復悔 物に同じきも既に慮(おもんぱか)る無く化し去るも復(ま)た悔いず 徒設在昔心良辰詎可待 徒(いたづら)に在昔(ざいせき)の心を設(まう)くも良辰(りょうしん)詎(なん)ぞ待つべけん 女娃の故事から、不可能な企ての実現に努めるが遂に徒労に終わる事の喩えとして「精衛海を填(うづ)む」(精衛填海(せいえいてんかい))という成語が生まれ、これはまた「精衛石を啣(ふく)む」(精衛啣石(せいえいかんせき))」ともいう。 南朝宋の陶淵明も「読山海経」と題する連作五言詩の第10首でこの故事を詠むが(右参照)、人外(物)に変じても尚激しい意志(猛志)を持ち続ける彼女を謳い上げつつもその意志の報われる朝(良辰)は決して迎えられないであろうと結ぶ事で、詳細は不明であるが彼女の「猛志」に重ねた晴らされざらむ自身の鬱憤を諦念を混えて吐露したものであったと考えられる。 なお、逆にこの故事を悲壮な状況へ陥落した後も強靱にして不屈の意思を示すものと肯定的に解する向きもある。
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