米自治領比島(フィリピン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/15 05:53 UTC 版)
「南方占領地切手」の記事における「米自治領比島(フィリピン)」の解説
当初は、アメリカ自治領時代に発行された切手に、英語表記を塗りつぶした上で日本語のカタカナで加刷した。そのため、切手上からは宗主国がアメリカから日本に変わったとアピールする意図が窺える。ただし、このような処置がとられたのはフィリピンに限ったことではない。1942年11月12日に発行された食糧増産運動慈善切手では、タガログ語表記が採用されていたが、1943年に発行された正刷による普通切手は、「比島郵便」と日本語表記であった。また1943年(昭和18年)5月7日に発行されたバターン・コレヒドール陥落1周年記念切手では「バタアン・コレヒドール カンラク 一シューネン キネン ショーワ 18ネン 5ガツ」と日本語のカタカナで書かれていた。そのため、フィリピンを占領した日本軍の切手上の政策はある種のブレがあったともいえる。 その後、フィリピンの懐柔策として日本軍主導によるホセ・ラウレル首班のフィリピン第二共和国政府が樹立されると、切手の表記はタガログ語に完全に切り替わった。 日本語を加刷した大東亜戦争1周年記念切手(1942年) 日本語による「比島郵便」切手(1943年) 第二共和国が発行した切手(1944年)
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