米国西海岸1859–1862年
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「ワイオミング (戦闘スループ)」の記事における「米国西海岸1859–1862年」の解説
就役後直ちに、ワイオミングはホーン岬を経由して太平洋に向かい、1860年4月にはニカラグア沖に達した。そこで帆走戦闘スループ・レバント(USS Levant)と交代し、1861年春まで中米から米国太平洋岸での任務についた。1860年の晩秋にレバントが行方不明になった際は、その捜索も行った。 ワイオミングがサンフランシスコで次の任務の準備をしていた最中に、南北戦争が勃発した。ワイオミングはゴールデンゲート海峡付近に留まり、カリフォルニア沿岸を航行する郵便船を保護するよう命令された。しかしながら、南部出身のミッチェル中佐はこの命令を拒否、艦をパナマに向けた。 ミッチェルはこの抗命のため解任され、ワイオミングは一時的に副長のマレー(Francis K. Murray)大尉が指揮をとり、1861年7月4日にカリフォルニアのモントレーに舵とった。しかし、艦は不運に見舞われた。まず、メキシコのラパス沖でサンゴ礁に乗り上げた。3日後に離礁に成功したものの、キールを破損した。さらには石炭が不足し、モントレー到着時には石炭庫はほとんど空であった。 ワイオミングはすぐにサンフランシスコに向かい、8月9日、新任の艦長デビッド・マクドゥガル中佐が乗艦した。艦はその後、バハ・カリフォルニア沖の合衆国捕鯨船を南部の艦艇から守る任務についた。続いて1862年には南米で行動している。
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