米中接近とテンスン・ランタン・マガル支援打ち切り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 15:01 UTC 版)
「チュシ・ガンドゥク」の記事における「米中接近とテンスン・ランタン・マガル支援打ち切り」の解説
1971年に、冷戦下でソビエト連邦との対立を深めていたアメリカのリチャード・ニクソン大統領が、中ソ対立の反作用でソ連との関係が悪化していた中華人民共和国との関係の改善を進め、中華人民共和国によるチベット併合を黙認するという政策転換を行い、アメリカと中国は急接近、1972年のニクソン大統領の中国訪問前後にCIAはテンスン・ランタン・マガルへの援助を打ち切ってしまう。 チベット国内は、中国人民解放軍によって完全に占領され、反乱勢力のほとんどが鎮圧された。 さらに1974年夏には、ネパール北部のムスタンに基地を構えていたチュシ・ガンドゥクがネパール政府に拠点を破壊され、主だった反乱は終わりを告げた。
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