米・麦の奨励品種の選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 08:24 UTC 版)
「田村律之助」の記事における「米・麦の奨励品種の選定」の解説
1902年(明治35年)、律之助は関係者を集めた会議を開き、米・麦の奨励品種の統一を図った。その結果、1911年(明治44年)に水稲、1912年(大正元年)に陸稲、1913年(大正2年)に大麦の奨励品種が決定し、各郡市農会の経営する採種圃で育成し、農家への普及を推進した。 ビール麦については1913年(大正2年)よりゴールデンメロン種の純系淘汰を開始し、1915年(大正4年)に「栃木ゴールデンメロン1号」を奨励品種として決定した。ゴールデンメロン種は日本が導入した当初、必ずしも醸造目的に限ったものではなかったが、ビール麦の基幹的品種として日本中で広く栽培されるようになった。実際に栃木県では1887年(明治20年)頃よりゴールデンメロン種の試験栽培を行っていたが、当時は食用やウマの餌として利用していた。ゴールデンメロン種の系統は現役で栽培されており、栃木県農業試験場は1965年(昭和40年)にニューゴールデン、1985年(昭和60年)にミサトゴールデンを育成した。
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