米ソの興隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 09:20 UTC 版)
20世紀中葉に至ると、アメリカのAPやUP、そしてソ連の国営通信社タス(ТАСС:現・イタル・タス)が勢力を拡大した。 アメリカでは、AP、UP、INSの3社が鎬(しのぎ)を削っていた。APがロイターやアヴァスなどの有力通信社と提携して、相互の活動領域を定める戦略を採ってきたのに対し、UPは独力で商圏を開拓した。 APはアメリカ国内の契約相手を1つの都市圏につき1社に限定しており、契約できなかった社は不満を募らせていた。UPはこの間隙を縫うように、APとの契約から漏れた社を積極的に取り込んで勢力を拡大した。1958年、設備投資の増大で経営が悪化したINSと合併してUPI (United Press International) となり、APと激しく競争した。UPIは、国外においてはBUP (British United Press) を設立して、イギリス連邦の市場に進出。同地域を地盤とするロイターに対抗した。 ソ連では、帝政ロシア時代の通信社がロシア革命後に再編されて、タスが誕生した(1918年、「ロスタ」に改組。1925年、「タス」に改組)。タスは、連邦内のニュースを独占配布する権限を有し、また国際ニュースはタスを通じて連邦内に流されることになっていたため、安定経営が維持できたのである。
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