米ソ冷戦史の相対化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:08 UTC 版)
冷戦史研究は、米国学界でその主要な論争が戦われてきたこともあり、主要な分析対象は米ソ関係であり、活用される資料の多くは米国政府の公文書であった。このような冷戦史研究の動きに対し、1978年にイギリスのドナルド・キャメロン・ワットは公開書簡で冷戦史研究の資料的偏重を指摘し、英国公文書などを活用して研究を深化させる必要を訴えた。このような提言を反映する形で、イギリスではヴィクター・ロスウェル (Victor Rothwell) の Britain and the Cold War (1982)、アン・デイトン (Anne Deighton) の The Impposible Peace (1990) など、冷戦の発生に対してイギリスの果たした役割を分析する研究なども現れ、冷戦の発生にはソ連の脅威を米国より早く意識し行動したイギリス政府の果たした役割が少なくなかったことを明らかにした。 イギリスを一つの典型として、他国についても「自国と冷戦(および冷戦に果たした役割)」について考察した研究も進められている。1998年よりノースカロライナ大学出版局 (University of North Carolina Press) が刊行している冷戦史研究のシリーズである The New Cold War History では、フランス、ソ連、中国、東西ドイツなど、様々な国家と冷戦の関係を考察した研究書が刊行されている。おp
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