篠原ともえ
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篠原ともえ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:38 UTC 版)
1995年に「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビュー。それ以降から初期の活動にあたる三枚のシングルと一枚のアルバムのプロデュースを石野が担当。シングルのカップリングでは人生や電気のライヴのみで演奏されていた楽曲「ポールレモス(チチョリーナ)」(「忘れちゃうモン」に改題)をカバーしている。電気のアルバム『VOXXX』にはゲストボーカルとして参加した。当初「こいつなら恋愛関係に発展することはないだろう」と見込んで石野はプロデュースを引き受けたが、当時16歳だった彼女の肌が赤ちゃんの肌のようにスベスベしていたことを気に入り、顔面を舐めたり、自分の肛門付近の痔を撮影したデジタルカメラ画像を見せる、ラジオで共演した際には胸を触ったりするなどのセクハラまがいのスキンシップを行っていた。2010年の篠原ともえ15周年記念ライブには電気メンバーが出演、同年に発売された『スーパーモデル15thアニバーサリーedition』の付属DVDでは、石野が篠原と共に過去の秘蔵映像に合わせてオーディオコメンタリーを行っている。また、毎年元日にLIQUIDROOMで、瀧、スチャダラパーANI、篠原とで餅つき大会を行っている。この餅つきは今までファンの見学参加は無料だったが、2015年からは年越しライブ入場料金とは別に2000円を徴収するようになった。
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