筒美京平とのコンビ
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「橋本淳 (作詞家)」の記事における「筒美京平とのコンビ」の解説
作曲家の筒美京平は青山学院高等部時代の後輩で、青山学院大学時代には、同じジャズバンドで筒美はピアノ、橋本はウッドベースを弾いていた。 筒美とは、藤浩一(のちの子門真人)と望月浩の競作「黄色いレモン」で初めて作家としてコンビを組んだ。同作の作曲者のクレジットは「すぎやまこういち」名義となっているが、これは筒美が当時日本グラモフォン(現:ユニバーサルミュージック)社員であったためである。「黄色いレモン」は当初、望月浩の楽曲として制作されたが、すぎやまの弟子である藤のレコードのほうが先に発売された。藤版が1966年8月15日、望月版が同年9月5日の発売である。「黄色いレモン」は同年中に、泉健二、リトル・パティらのシングルB面でもカバーされた。 1968年(昭和43年)12月25日に発売されたいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、150万枚を売り上げて筒美とのコンビで最大のヒット曲となり、翌1969年末の第11回日本レコード大賞で筒美が作曲賞を受賞した。同曲は横浜のご当地ソングとして広く親しまれ、多数のアーティストによってカバーされている(カバー曲についてはブルー・ライト・ヨコハマ#カバーを参照)。 筒美とのコンビで制作した楽曲は、1997年(平成9年)時点で550曲を数える。 橋本は「あまり売れなかったが、私の好きなこの歌」として、筒美と組んだ西田佐知子『くれないホテル』(1969年4月5日発売)を挙げている。
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