第7心理作戦群
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米軍が1950年の朝鮮戦争勃発によって再び土地の強制接収と住民の武力鎮圧 (銃剣とブルドーザー) を強めていくなか、当然、地元住民の大きな反発も招いた。米陸軍は沖縄戦での心理戦に一定の成果をみていたため、1965年10月20日、第7心理作戦群 (7th psychological operation groups, 通称 "7th psyop") を沖縄で結成した。司令部は牧港補給地区のもっとも奥深くに置かれ、その実態は米国議会にも知らされない「謎の諜報部隊」といわれた。第7心理作戦群は幾つもの心理作戦大隊や中隊を有し、様々な諜報・心理戦活動を行った。 1971年から72年にかけて、この防諜部隊の存在は、瀬名波通信施設の外国放送情報局 FBIS (CIAの電波傍受機関)、知念補給地区 (キャンプ知念) のCIA拠点、国務省管轄のVOA通信所とともに、国会の沖縄・北方特別委員会、沖縄返還協定特別委員会で問題化され、第7心理作戦群は1973年10月11日に沖縄から撤退、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地に本部を移転したが、1974年6月30日にその地で解散した。その後、再び再結成され1975年10月30日にカリフォルニア州サンフランシスコのプレシディオに本部を移した。なお、フオートブラッグ基地内の第82空挺師団戦争記念博物館には沖縄戦で用いられた心理戦のビラが保管されている。 施設番号 名称 第7心理作戦群 FAC6056 牧港補給地区 司令部 FAC6057 牧港補給地区補助施設 第7心理作戦部隊倉庫 FAC6034 平良川通信所 ラジオ隊
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