第6部 流刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 03:31 UTC 版)
1 自由時代初期の流刑 ソ連の流刑は1922年の強制移住から始まった。 2 百姓の悪疫 1929-30年に、農業の集団化が行われた。コルホーズへ加入しない、「富農」とされた農民1500万人は、シベリアなどへ強制移住させられた。 3 流刑地は濃密になる カラガンダは代表的な流刑都市。ただし流刑地で仕事にありつくのは、都市が小さいほど難しい。コルホーズでは収容所と違って、配給パンさえないこともある。 4 諸民族の強制移住 1937年に朝鮮人たちがカザフスタンへ送られた。1941年にヴォルガのドイツ人たちが移住させられた。そしてバルト人、タタール人、ギリシャ人、チェチェン人... 5 刑期を終えて 刑期を終えた囚人たちは、次に流刑となる。1953年、作者も流刑となり、学校教師の職を申し込んだ。そしてラジオでうれしいニュースを聞いた。スターリンが死んだのだ! 6 流刑囚のささやかな幸福 作者は数学と物理の教師になれた。フルシチョフの時代になって、58条組の流刑が廃止され、作者も自由の身になった。 7 娑婆へ出た囚人たち 流刑にされずに、本当に釈放された囚人は、住民登録がなければ就職できない。就職していなければ、住民登録ができない。
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