第3回世界探検旅行(1923)
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「菅野力夫」の記事における「第3回世界探検旅行(1923)」の解説
1916年、彼は第3回世界旅行のために、7年半、全国を講演旅行をしていた。1916年5月6日付の北陸新聞では「おおもての菅野君、和倉芸妓の総揚げ」などの題で報道されている。1923年1月出発、ハワイでは3055mのマウイ島の最高峰に登っている。ハワイに約5か月半滞在し82回の講演を行い、40000ドルを謝礼として受け取っている。7月出発、メキシコ、パナマを経由してペルーへ、ここでは8か月滞在。ペルーでは海、砂漠、インカの遺跡、山、ジャングル、街、家、日系移民、インディオの人々、港、鉄道など、多数の写真を撮影している。その後、チリ、アルゼンチン、ブラジルで精力的に旅行、講演をおこなっている。1925年正月はインド洋上で迎えシンガポール、マレーシア、ジャワを経て6月帰国した。写真は相変わらず自分が写っているのが多いが、自己顕示欲が強いというだけでなく、自分が探検旅行をしたという証拠であり、絵葉書などにして宣伝に使っていた。
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