第10回アメリカ横断ウルトラクイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/17 04:40 UTC 版)
「森田敬和」の記事における「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」の解説
後楽園球場での〇×クイズ第1問 「ニューヨークの自由の女神。100年前の除幕式の幕はフランス国旗であった」という問題であったが、大会前に偶然読んでいた英語版ニューズウィーク誌に載っていたことから「〇」に入り正解。 2度の敗者復活 第1チェックポイントの「成田★旅立ち」では、「8年前(1978年)、成田空港が開港して初めてお客を乗せて飛び立った飛行機はグァム行きだった」という問題で「×」と答え失格(サイパン経由グァム行きの飛行機が成田発の旅客機第一便に当たるため、正解は「〇」)したものの、ペーパークイズで敗者復活を果たす。 第2チェックポイントのグアムでも「突撃〇×泥んこクイズ」で不正解となり泥に突っ込むこととなる。しかし、このチェックポイントでは規定の勝ち抜け人数28人より2人多く失格者が出てしまった関係上、敗者復活戦を実施。サドンデス方式の〇×クイズにより、後に北米コース準決勝のナイアガラまで駒を進める挑戦者と共に敗者復活を成し遂げた(未放送)。 第11チェックポイントのアトランタ・ケネソー古戦場で行われた「南北お別れ早押しクイズ」 第1問を制し1抜けを果たす。その際「ここは南軍の土地でしょ!南米に行かなくてどうするの!」と高らかに宣言し、自ら南米コースへ進む。しかしこの時から体調を崩し始め、南米ボリビアに到着後38度の高熱と闘いながらクイズに挑み、南米チャンピオンにまで上り詰めることとなる。 決勝のニューヨーク 福留から「自称六本木のクリスタルボーイ」(本大会の単行本では「東京都港区南青山に住むシティボーイ」とも)と渾名されたが、この頃になると体調も完全に回復。北米コースチャンピオンの西沢泰生をして「永遠に縮まらない2ポイント」と言わしめる程の激戦を経て優勝した。その直後、南米コース担当で同い年の日高直人アナウンサー(当時)と抱き合い、この旅初めての男泣きを見せる。なお、森田と西沢は共に6月29日生まれであった(西沢は森田の2歳下)。
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