第1護郷隊とは? わかりやすく解説

第1護郷隊(第3遊撃隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 08:08 UTC 版)

護郷隊」の記事における「第1護郷隊(第3遊撃隊)」の解説

第3遊撃隊(第1護郷隊、村上治夫隊長)は4個中隊、約500名で編成村上大尉と他6名の中野学校出身士官着任名護岳(第1中隊)、多野岳(第2中隊)、久志岳(第4中隊)、乙羽岳第3中隊)を拠点として、遊撃戦備えた1945年4月17日真喜屋稲嶺源河遊撃戦では、「敵に利用される家ならば」と里の家に付け火をして回らせた。6月には、集合遅れた少年兵制裁のため、仲間うちで射殺させるという凄惨な事件起こしている。 「 射撃訓練標的にあたらなければその日夕食はなし。『弾はお前達よりも高い。はがき一枚いくらでも兵隊連れてこられる』といわれた隊員いました下士官歩いていて、敬礼をわすれると拳骨殴られる人もいました。 」 —第一護郷隊所属 (恩納村)(『広報おんな』425号 (2016)より) 第1護郷隊は実質的に7月解散するが、終戦後村上隊長らは数度下山勧告拒否し名護岳付近に潜伏した。1946年1月2日日本軍将校が第32軍 (沖縄守備軍) の作戦参謀であった八原博通の手紙を携えて説得した結果翌日下山した。既にその時、八原は捕虜解かれ本土帰郷していた。 第一護郷隊慰霊碑

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