第1次ロッキンガム侯爵の国務大臣
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「オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)」の記事における「第1次ロッキンガム侯爵の国務大臣」の解説
ロッキンガム侯爵は大ピットを味方に引き入れようとしたが、大ピットは初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリス(王璽尚書)の入閣に強く反対したため、協力を拒否した。ロッキンガム侯爵内閣が国王にも庶民院を掌握していた大ピットにも支持されないことになり、しかも内部分裂をおこししていたため、極めて弱体な内閣となった。 グラフトン公爵は1766年4月に辞任したが、その理由について貴族院で「私的な娯楽を楽しもうとするためというのは誤報である。(辞任の理由は)力が欲しいためであり、その力を与えられるのはただ1人(大ピット)だけである。」と述べ、さらに「これまでは将軍の職杖を手にしていたが、あの有能で偉大な大臣の下にならば根掘りくわや踏みすきを手に取る用意がある」(though he had carried a general's staff, he was ready to take up a mattock or spade under that able and great minister)とも述べた。
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