第三の庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 06:38 UTC 版)
「第二の庭」の正面奥には「幸福の門」(バービュッサーデ)とよばれる門があり、その奥にある「謁見の間」(アルズ・オダス)と呼ばれる建造物を中心とする「第三の庭園」とそれを取り巻く施設群が内廷を構成する。内廷には君主の私室(ハス・オダ)や、現在は有名な「トプカプの短剣」が展示されている宝物庫がある。 トプカプ宮殿の聖遺物(英語版)(アーサール :イスラム教の聖遺物)は質量ともに有名で、特にイスラム帝国アッバース朝のカリフ権の象徴であった「ムハンマドのマント」と、実際に戦争に使われたという「ムハンマドの軍旗」が知られる。多くのスルタンは、戦場に赴く際には、このマントと軍旗を必ず身に着けていたという。 内廷では、数百人のイチ・オーランと呼ばれる君主の小姓たちが、私室や財宝庫などの管理役を勤め、君主に奉仕した。小姓たちはここで幹部候補生として高度な教育を受けて、外廷の職や軍の将校などの要職につけられ、また内廷で私室長や太刀持ち役などの皇帝側近の重職に出世すれば、地方総督職などを経て、将来的には宰相にまで出世することが可能な制度が確立されていた。小姓の供給源もイェニチェリと同じく、古くはデヴシルメによっており、カプクルのエリートコースであった。 他、図書館などがある。
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