立山ガイド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 14:53 UTC 版)
立山ガイドは江戸時代の立山修験(立山信仰)の「御師」に始まると考えられている。「立山曼荼羅」で多くの人を霊山立山に呼び、芦峅寺などにある宿坊に泊めた。 現在、登山者の間では立山町のガイドは「勇敢で登山者を命懸けで守る」と評判で、民間救助隊員として遭難救助に活躍した者も少なくない。幼いころから立山信仰とともに生き、山とともにある暮らしの中で山の知恵を学んでいった。 出身者の中には「剣の文蔵」と称された佐伯文蔵、南極での学術観測に協力した佐伯富雄などもいる。佐伯富雄は空気の湿り具合や雲の動き具合から嵐の前兆を察する能力にも優れていた。このようなカンは実際の入山で自然に培われていった。しかし、登山ブームが去ると立山ガイドの仕事も減り、すたれ始めた。 そうした中、富雄の長男佐伯高男は、1991年に立山ガイド協会の設立に参加。また自然教育機関「立山自然学校」で子供たちに自然の素晴らしさを伝える活動にも従事している。 映画「劔岳 点の記」では、立山ガイド協会会員が撮影支援に当たった。
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