空港 (テレサ・テンの曲)
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「空港」 | ||||
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テレサ・テン の シングル | ||||
初出アルバム『空港/雪化粧』 | ||||
B面 | はぐれた小鳩(1974年盤) 夜のフェリーボート(1992年盤) |
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リリース | ||||
規格 | 7インチレコード | |||
ジャンル | ムード歌謡・演歌 | |||
時間 | ||||
レーベル | ポリドール・レコード | |||
作詞 | 山上路夫 | |||
作曲 | 猪俣公章 | |||
プロデュース | 佐々木幸男 | |||
ゴールドディスク | ||||
第16回日本レコード大賞新人賞 | ||||
チャート最高順位 | ||||
テレサ・テン シングル 年表 | ||||
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空港(くうこう)は、1974年7月1日に発売されたテレサ・テンの2枚目のシングル。発売元はポリドール・レコード(現ユニバーサルミュージック、レコード品番:DR 1865)。
解説
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1974年(昭和49年)7月1日に発売された楽曲で、1992年(平成4年)に再発盤がリリースされた。中国語でのタイトルは「情人的關懷」である。
テレサ・テンの日本でのデビュー・シングルは1974年3月発売で、アイドル歌謡曲の「今夜かしら明日かしら」だったが不発に終わる。次シングルには、ムード歌謡・演歌調の路線に変更した「空港」を発表した処、有線放送などで徐々に注目され、ロング・ヒットを記録した。累計売上は80万枚[2]。
当曲でテレサは、浅野ゆう子(「恋はダンダン」)、荒川務(「太陽の日曜日」)、城みちる(「イルカにのった少年」)、西川峰子(「あなたにあげる」)とともに第16回日本レコード大賞(1974年)の新人賞に選ばれた。この年の最優秀新人賞は麻生よう子(「逃避行」)であった。
収録曲
- 空港 [3:45]
- はぐれた小鳩 [3:48]
1992年(再発盤)
- 空港
- 夜のフェリーボート
- 作詞:山上路夫、作曲:井上忠夫、編曲:森岡賢一郎
- 空港(オリジナル・カラオケ)
- 夜のフェリーボート(オリジナル・カラオケ)
カバーしたアーティスト
- 中森明菜(アルバム『艶華 -Enka-』初回盤Bに収録)
- 石原詢子(カバーアルバム『我がこころの愛唱歌II 〜人情と活気に溢れてたあの時代〜』、CD-BOX『石原詢子 時代のうた』に収録)
- 由紀さおり(カバーアルバム『あなたと共に生きてゆく 〜由紀さおり テレサ・テンを歌う〜』(2016年7月27日発売)に収録)[3]
- 岩佐美咲 - 2018年2月27日発売のアルバム『佐渡の鬼太鼓』収録
- クレイジーケンバンド - 2021年9月8日発売のカバーアルバム『好きなんだよ』収録
脚注
- ^ オリコンランキング情報サービス「you大樹」
- ^ 長田暁二『昭和歌謡 流行歌からみえてくる昭和の世相』敬文舎、2017年、199頁。ISBN 978-4-906822-76-8。
- ^ “あなたと共に生きてゆく〜由紀さおり テレサ・テンを歌う〜 【CD】由紀さおり”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2016年8月2日閲覧。
「空港 (テレサ・テンの曲)」の例文・使い方・用例・文例
- 私たちは空港まで彼を見送りに行った
- 羽田空港で待ち合わせよう
- 空港へ通じる道はすべて警察によって封鎖された
- 空港には何時に到着する予定ですか
- 私は彼に空港に客を迎えに行くよう命じた
- 私たちは現状で考えつく最善の方法でその空港建設計画を立てた
- 空港への道を封鎖する
- 空港までタクシーに乗った
- 新空港建設反対運動を繰り広げる
- このバスに乗れば空港に行けます
- 軍は空港を閉鎖した
- 軍が空港と官庁ビルを制圧した
- 代表団は空港で外務大臣の出迎えを受けた
- 真っすぐ成田空港に行った
- その旅客機は空港で乗客全員を降ろした
- 空港まで送っていただけますか
- 空港はホテルから行きやすい所にあります
- 空港でスーツケースを調べられた
- 空港の拡張
- 「ここから空港までどれぐらいの距離ですか」「あまり遠くはありません」
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